金田真一は、1960年浜松生まれの打楽器奏者、作曲家、サウンドアーティスト。東京学芸大学教育学部音楽科中退。打楽器を山本真理子、塚田靖、松倉利之、山口恭範の各氏に、作曲を尾崎敏之氏に師事。83年、日仏現代音楽作曲コンクール入選。85年、筑波科学万博「未来芸術祭」に出演。90年、大阪花と緑の博覧会で政府館の音楽製作に参加。打楽器リサイタル5回。現代音楽の作品展7回。2003年から「音響彫刻」の制作と演奏活動を展開した。
インターネット等で中高生とも親しく交流し、若い奏者のために8曲の打楽器アンサンブル曲を作曲した。
2004年5月17日、病気により43歳で生涯を閉じた。
【公式サイト】
金田真一オンライン記念館(旧・実験音楽工房)
打楽器アンサンブルのレパートリーが今よりずっと少なかった頃、吹奏楽部顧問だった私はアンサンブルコンテストの選曲で毎年悩んでいました。そんな2003年の夏、金田氏の「実験音楽工房」のウェブサイトに出会い、そこで聴ける金田氏が作曲した打楽器アンサンブル曲に魅了されました。金田氏がネット販売していた自作の楽譜を購入し、メールで細部を相談しながら生徒たちと取り組みました。
翌2004年の夏頃、転勤先の学校で別の曲を取り上げようと金田氏にメールしましたが、返事がありません。手を尽くして探した末に、金田氏が亡くなっていたことを知りました。その年の秋、ご遺族に打楽器アンサンブル曲の出版を提案し、解説や校訂をお手伝いし、2005年の秋にブレーン株式会社から8曲が出版されました。それ以来、作品は日本中で演奏され続けています。現在の打楽器アンサンブルの隆盛の礎を築いたと自負しています。
2014年1月、金田真一さんのお母様と電話で話し、上の肖像写真の掲載等についてご快諾をいただきました。金田真一さんが亡くなって10年が経ち、お母様からお預かりしたままの他の曲の自筆譜をどう生かしていけばいいのか思案しています。
2017年2月、浜松に墓参、お母様と再会し、自筆譜をさらにお預かりしました。まずはリストアップからと思っています。